新田義貞の墓を訪ねて
2022年、鎌倉幕府の創生期を描いた歴史ドラマが話題となりましたが、その鎌倉幕府を挙兵からわずか約2週間で倒したのが新田義貞。足利尊氏のライバルとして鎌倉後期から南北朝時代にかけて活躍し、軍記物語「太平記」にも登場する武将です。時代を変えた名将の墓が、龍ケ崎の金龍寺にあるのを、みなさんはご存じですか。
新田義貞の墓が、なぜ龍ケ崎に?
出身は群馬県太田市。ではなぜお墓が龍ケ崎に?という疑問が頭によぎりますが、ここに葬られているゆえんは、新田義貞の子孫が戦国時代に牛久へ領地替えになった際に新田氏歴代の菩提寺である金龍寺も一緒に移ってきたからといわれています。
墓のある金龍寺に行ってみると
平日の午後に訪ねてみると、境内は訪れる人もなく静寂に包まれていました。本堂の裏手にある木立に囲まれた墓は、のちに徳川家康などと並ぶ正一位に叙された人物にしては驚くほど質素でした。しかし、そのたたずまいは波乱に満ちた生涯を癒やすかのようです。そして、誰もが気軽に行ける墓は、その人柄がしのばれるようにも思えます。激動の時代に彗星のごとく現れ、新しい時代を切り開いた新田義貞。この英雄を私たち市民は、もっと知っても良いのではないでしょうか。ぜひ、一度は訪ねてほしいスポットです。
金龍寺
DATA 龍ケ崎市若柴町866 ☎ 0297-66-3469