狐の恩返し伝説が残る
女化神社
鶴や狼、猫、狸など動物が人間に恩返しする昔話は各地にありますが、龍ケ崎の女化神社(おなばけじんじゃ)には狐伝説が残ります。初詣や初午祭(はつうままつり)で賑わい、市民に親しまれる神社は一体どんないわれがあるのか、改めてリサーチしました。
女化の狐伝説とは?
昔、猟師に命を狙われた女狐が忠五郎という男に助けられたのをきっかけに、人間に化けて忠五郎に尽くし、妻となって3人の子どもに恵まれます。しかし、女狐であることがばれてしまい、「みどり子の 母はと問はば 女化の 原に泣く泣く 臥すと答へよ」という歌を書き残して忠五郎のもとを去り、二度と姿を現すことはありませんでした。これが女化神社に残る伝説です。このような伝説から、神社を含む周辺は「女化の原」と呼ばれるようになったといわれています。
全国的にもめずらしい狐像
この悲しい伝説をモチーフにつくられたのが、親狐2匹と子狐3匹の石像です。台座の刻印によると、1869年に東京・深川の大黒屋藤助(だいこくや とうすけ)と岡田屋宗兵衛(おかだや そうべえ)から寄進されたもので、2019年に龍ケ崎市民遺産に認定されています。伝説を知ったうえで、狐像を拝むと、これまでとは違った表情に見えてくるかもしれません。
ここは、牛久市に囲まれた飛地!
周囲は牛久市女化町ですが、女化神社の住所は龍ケ崎市馴馬町です。飛び地になった理由は、江戸時代に来迎院(龍ケ崎市馴馬町2362)に守護されていたことから。保食社(うけもちしゃ)と称されていましたが、女化という旧称が親しまれていたため1885年に女化神社に改称されました。周辺には、明治から昭和初期に隆盛を極めた実業家・竹内明太郎が建てた旧竹内農場赤レンガ西洋館(龍ケ崎市民遺産)などがあり、歴史を身近に感じられます。ぜひ足を運んでみてください。
女化神社
DATA 龍ケ崎市馴馬5387 ☎ 029-872-2237